2018年2月26日月曜日

家族マラソン

小学3・4年生くらいの頃だったか、我が家にマラソンブームがやってきた。
父が早朝ランニングを初めて、それに私と弟が付き合わされる地獄のような生活が始まった。

毎朝、6時頃になると、父が「おはよ~♫おはよ~♫あ~さはどこからくるかしら、あ~の山越えて、谷越えて♫き~ぼうのくにからくるかしら♫」と嬉しそうに歌いながら、私と弟が寝ている部屋に起こしに来るのだった。(この歌が「朝はどこから」という曲だということを最近知った。)
当時私は、自分の太ももを使って「競輪選手!」と言ってウケをとるくらいの肥満児だった。とにかく持久力が無く、学校のマラソン大会でも大体ビリを争うような感じだった。また、走ると血行の関係か、足が異様に痒くなってくることもあり、走るのが本当に嫌だった。
だから、走らなくてすむ雨の日の朝は、本当にホッとした。

あるとき、家族で車で移動しているときにカーラジオから三遊亭円丈が「マラソンなんかやってる人は自分の体をいじめて喜んでいるマゾヒストだ」と言っているのが聞こえて、母だけ笑っていたけれど、自分も心の中では「そーだそーだ!」と叫んでいた。
そういえば、いつだったか母と2人で食事に行ったとき、店内有線で嘉門達夫のあったらコワイセレナーデがかかっており、
「あったらこわい~♫あったらこわい~♫オブラートでできたコンドーム」のところで母が思わず「ブハッ」と吹き出し笑いしつつも、子供の前でマズイと思ったのか慌てて取り繕い、自分も気付かぬふりをしてあげたことを思い出した。脱線。

そんなある日、いつも通り起こされてさあ走ろうかというときに、弟が「お腹が痛い」と言い出した。父が、「じゃあ寝てなさい」と弟に言って、私と父だけで走りに行った。
そんなことがその日から数日続き、私は「ホントか~?仮病じゃねぇの」と思い始めたのだが、遂にある日、弟が動けないくらい痛がり、病院に連れて行った。盲腸炎だった。


その後、父一人でのランニングは続いたけれど、家族マラソンは、自然消滅した。

2018年2月23日金曜日

ドクターに言われた・・・ 後編

昨日の記事の続きです
<前回のまとめ>
毎年受診している人間ドック。40を過ぎたあたりから、いろいろ検査結果に不備が多くなってきた中年ニコライ氏。その人間ドックを受けた病院から「検査結果について伝えたいことがある」と呼び出しを受け、一体なんであろうとドキドキしながら病院へ向かう中年ニコライ氏。そして診察室でドクターから告げられた、思いもよらぬ性病罹患疑惑。さてその真相は、、、

お医者さま
「簡易検査で陽性だったので、より正確に判定できる検査に回したところ、そちらは陰性でした。だから、十中八九、大丈夫です。」
(十中八九て、、、高いのか低いのか分からん)
「十中八九というのは、その正確に判定できる検査法の方は、簡易検査に比べ罹患してから反応が出るまで時間がかかるためです。もし、気になるようでしたら、しばらくしてから、お近くの病院で再度検査を受けてみてください。人間ドックで陽性反応が出たということであれば、健康保険もききますから。」
「あの、梅毒って、、、性交渉以外でかかる可能性があるのでしょうか?そのう、、、あまり心あたりが無いのですが、、、」これは、今思い返すとちょっと恥ずかしい、部屋に看護婦さんがいたための必死の弁明でした。
「性交渉以外では罹患しないですね。感染拡大を防ぐ為、このことは、パートナーの方にも伝えておいてくださいね。」
(パートナーて、、、)
「デリケートな問題で、ドックの検査結果表書くとトラブルになることもあるので、今日は来ていただきました。」
(自分もこれだけビックリしたんだから、郵送で検査結果が届いて、ウチの奥さんがこの結果だけ見たら、確かに目ん玉飛び出るだろうな、、、)
「まあ、最近は治療法も進んでいるので、病院に行くのは自覚症状が出てからで構わないと思います」
「自覚症状ってどんなのですか?」(たしか梅毒って鼻がもげるんじゃなかったっけ)
「血行が悪くなり、手足が白くなり、身体が動きにくくなってきます。ちょっと足を診てみましょうか。」
ズボンをめくる私。
「おや、白いですね」
(もともと、色白なんじゃ~い)
お医者さんが私の足を触り「あったかい。大丈夫ですね。」

病院を出て、しばし呆然。この、私が、性病罹患疑惑だって。しかも梅毒って、いつの時代だよ。
そしてスマホで梅毒について検索しまくりました。
最近また、梅毒の罹患者が増えているというニュースを見たり、「自覚症状」は分かりにくいから気をつけろ、というお医者さんの話とは違う記事をみて怖くなったり。検査法にはSTS法とTP抗原法があり、自分はSTS法で陽性、TP抗原法で陰性だったのだな、と普通に生きてたら出会わないだろう知識を身に付けたりしました。

そして家に帰り、恐る恐る奥さんに顛末を伝えたところ、、、奥さん爆笑。
ホッとしつつ、自分、信頼されてるなあ、、、いや、単に自分の行動が見透かされているだけなのだろうな、なんてことを思いました。

そして今日に至るまで、おかげさまで鼻がもげたりもせず、元気に生きておりまーす。

そうそう、鼻もげる、と言えば自分、もともと鼻がないみたいな鼻ぺちゃではありますが、、、
顔の美醜についても、日頃色々考えているくだらないことをこのブログに書きたいけれど、長くなりそうなのでまたいつか。
長文失礼いたしました。

(終わり)

2018年2月22日木曜日

ドクターに言われた衝撃的な言葉

Twitterでハッシュタグ
#ドクターに言われた衝撃的な言葉
を見かけまして、
あまりにプライベートな内容のためつぶやきを控えていた、けれども、どこかで語りたいなと思っていた話を、このブログに記します。

あ、相変わらず、"読んでる時間の無駄"な話なので、覚悟しておいてくださいな。

会社の健保組合の補助を受けて年に一回、日帰りの人間ドックに行っています。
若い頃はちょい肥満ちょい尿酸値高めではあったものの大きな問題はない健康優良児でしたが、40をこえてからは毎年何らかの問題が発見され、健康診断の重要性をひしひしと感じる今日この頃です。
ドックといえば、受診する病院は健保組合の提携している病院から選ぶのですが、これが結構重要です。
診断内容が微妙に違ったりもします。
直腸検診がコースに組み込まれている千葉県の某病院は衝撃だったなぁ。いきなりお医者さんにお尻に指を突っ込まれて触診されて涙目。いい経験!?にはなりましたが、翌年病院を変えました、、、
昼食も、病院の食堂で提供されたり、弁当だったり、食事券だったり、病院によって色々です。

脱線。本題に戻ります。
日帰りドックでは午前中に検査が終了し、検診結果については、当日午後にドクターから説明を受けるか、後日の郵送か、が選択できます。
待ち時間がもったいないこともあり、いつも「後日郵送」を選んでいます。
ドックに行った数日後のある日のことでした。会社で仕事中に携帯を見ると、着信履歴がありました。留守電を聞くと、先日人間ドックで検査を受けた病院から「お伝えしたいことがある」とのこと。
折り返し電話すると、「検査結果について、先生からお話したいことがあるとのことです。電話では伝えられない内容なので、日を予約して病院に来てください。」とのこと。
電話で伝えられないって何!?心配になった自分は「急いだ方がいいですよね?なんなら明日にでも会社休んで行きますが」と聞くと「いえ、急ぐ必要はありません」とのこと。
え?電話では伝えられない内容なのに、急がなくてもいいってどういうこと?混乱しながら、週末の休日に面談の予約をしました。

そして週末、ドキドキしながら病院に向かいました。
案内された診察室にはお医者さんと看護婦さんがいました。
お医者さんは言いました。

「ニコライさん、今日来てもらったのはですね、、、
検査で梅毒の陽性反応が出ました。」

うそーん。


(続く)

2018年2月14日水曜日

バレンタインデーの想い出

バレンタインデーの記憶についてつらつらと
①人生初のチョコレート
小学2年生のとき、生まれて初めて女性からバレンタインチョコを貰った、というか、貰ってない。
バレンタインデーの学校帰りにクラスメイトのIちゃんが近寄ってきて、チョコレートを渡そうとしてきた。けれど、まわりに友達がいたので、恥ずかしくなった自分は「いらないッ」と叫んで、走って逃げた。
翌日学校に行ったらクラスの女子に取り囲まれ「ニコライ君ヒドい!Iちゃん泣いてたんだよ!」と非難された。確かに今考えるとヒドい。
小学2年生のこの頃が、人生の絶頂期だったかもしれないなあ(遠い目)
でも、この時の体験が、その後自分に結構長く取り憑いていた女性恐怖の原点かもしれない、、、
②中・高・大学生時代
中学高校は母親からしかチョコレートを貰えなかったけれど、「男子校なのでしょうがないよな」と自分に言い訳が出来た。
が、大学生になっても、女性とは基本、縁がない生活が続いた。
この頃唯一貰った女性からのバレンタインチョコが、近所の中華料理屋さんで昼ごはん食べたらレジのお姉さんから貰えたアルファベットチョコレートだった。貰って、嬉しさよりも猛烈な淋しさを感じた。
③社会人時代
会社員になると、さすがに毎年義理チョコは貰えるようになった。
しかーし、「ちょっと豪華な義理チョコ」に本命チョコの匂いを嗅ぎとり、ホワイトデーに勇猛果敢に突撃するも玉砕すること2回。

この辺りは話すとちょっと長くなるのでまた来年、このブログが続いてたら書こう~っと。

2018年2月3日土曜日

お笑いスタ誕のある土曜日

129日放送の東京ポッド許可局、「好きな曜日論」で、土曜日、半ドン、からプチ鹿島さんが話題に出した「お笑いスター誕生」
大好きでした。
毎週、何組かのお笑い芸人がネタを披露し、番組の最後に合格不合格が発表され、10週勝ち抜けでチャンピオン。初代チャンピオンはB&Bで、漫才ブームの火付け役的な番組でもありました。司会は山田康雄と中尾ミエのコンビで、審査員は鳳啓助や京唄子だったっけ。審査はかなりシビアで、番組最後の結果発表は、毎週自分のお気に入り芸人さんの運命がどうなるのか!とハラハラドキドキでした。
当時自分は小学生。愛媛でも土曜のお昼からの放送でした。まだ週休2日ではなく土曜は半どんで、学校から家に帰って昼ごはんを食べながら見るのが毎週の楽しみでした。
ただし帰宅時点ではもう番組は放映中であり、番組前半を見ることができませんでした。当時はビデオも無かったため、とにかく早く帰ることが重要で、指定通学路ではない、ドブ川の上の細い橋を渡る危険なショートカットコースを発見し土曜だけそのルートを使って帰宅するぐらい、熱中してました。
とんねるずやウッチャンナンチャン、シティボーイズ、イッセー尾形、小柳トム(現ブラザートム)、でんでん、などがお笑いスタ誕出演者としては有名なところでしょうか。
その他にも思いつくままに
ミスター梅介、キモサベ社中、まきたひろし、ぶるうたす、ゆーとぴあ、こだまひかり、ちゃらんぽらん、象さんのポット、などなど

中でも別格で、自分の"ヒーロー"だったのが、九十九一(つくもはじめ)とアゴ&キンゾーでした。
九十九一は、不条理もしくSFチックな設定
の一人コントで、とにかく構成が練られていてオチもスマート。"天才"を感じました。お笑いスタ誕以降、俳優の方にシフトされたのか、他の番組でネタを見る機会がなかったのが残念でなりません。
アゴ&キンゾーはアゴ勇と桜金造のコントコンビ。「○○だよ~ん」とか「意外ね、意外ね」といったギャグにハマり、毎回爆笑してました。好きすぎて、当時の親友トックリ君とコピーコンビを結成し、クラス会でコントを披露したこともあったなあ。


小学生の頃は、この「お笑いスター誕生」と「オレたちひょうきん族」がある土曜日が、一番好きな曜日だったかも。