小学3・4年生くらいの頃だったか、我が家にマラソンブームがやってきた。
父が早朝ランニングを初めて、それに私と弟が付き合わされる地獄のような生活が始まった。
毎朝、6時頃になると、父が「おはよ~♫おはよ~♫あ~さはどこからくるかしら、あ~の山越えて、谷越えて♫き~ぼうのくにからくるかしら♫」と嬉しそうに歌いながら、私と弟が寝ている部屋に起こしに来るのだった。(この歌が「朝はどこから」という曲だということを最近知った。)
当時私は、自分の太ももを使って「競輪選手!」と言ってウケをとるくらいの肥満児だった。とにかく持久力が無く、学校のマラソン大会でも大体ビリを争うような感じだった。また、走ると血行の関係か、足が異様に痒くなってくることもあり、走るのが本当に嫌だった。
だから、走らなくてすむ雨の日の朝は、本当にホッとした。
あるとき、家族で車で移動しているときにカーラジオから三遊亭円丈が「マラソンなんかやってる人は自分の体をいじめて喜んでいるマゾヒストだ」と言っているのが聞こえて、母だけ笑っていたけれど、自分も心の中では「そーだそーだ!」と叫んでいた。
そういえば、いつだったか母と2人で食事に行ったとき、店内有線で嘉門達夫のあったらコワイセレナーデがかかっており、
「あったらこわい~♫あったらこわい~♫オブラートでできたコンドーム」のところで母が思わず「ブハッ」と吹き出し笑いしつつも、子供の前でマズイと思ったのか慌てて取り繕い、自分も気付かぬふりをしてあげたことを思い出した。脱線。
そんなある日、いつも通り起こされてさあ走ろうかというときに、弟が「お腹が痛い」と言い出した。父が、「じゃあ寝てなさい」と弟に言って、私と父だけで走りに行った。
そんなことがその日から数日続き、私は「ホントか~?仮病じゃねぇの」と思い始めたのだが、遂にある日、弟が動けないくらい痛がり、病院に連れて行った。盲腸炎だった。
その後、父一人でのランニングは続いたけれど、家族マラソンは、自然消滅した。