2018年1月28日日曜日

メール採用記念と鎌倉ものがたり感想

127日放送の南海放送ラジオ「MOTTO!!~痛快!杉作J太郎のどっきりナイトナイトナイト~」で、メールを読んで頂きました!
前半の終わり、時間が無い中で途中まで、名前も読まれなかったのですが、ここでこのブログが機能する!誰も求めてはいないと思いますが(笑)、ここに全文掲載!

・・・
愛媛出身ですが今は横浜在住で、毎週ラジコで拝聴させていただいております。
小さい頃、映画といえば「東映まんがまつり」でした。小さかったので内容はあまり覚えていませんが、短い時間でいろんな作品が上映されて、とてもワクワクしたような記憶があります。
「長靴を履いた猫」も東映まんがまつりで観ました。大街道の映画館には主人公の名前を付けたアニメポリス ペロというアニメショップもありましたね。
・・・

なっちゃん(杉作さんのラジオのマドンナで、ラジオのお手伝いをしているバイトの方)も、「DESTINY鎌倉ものがたり」観てた!
そして、なっちゃんに「主演は堺雅人さんと高幡不動?(高畑充希さん)」や「原作の西岸良平さんがもしいなかったら、YMOは存在しなかったかもしれない」の話で対応する杉作さんはやはり凄い!

で、年末にこのブログで途中まで書いて放置状態にしていて、すっかり忘れてた、鎌倉ものがたりの簡単な感想です

予想外の展開でとても面白かったです!
ちょっと泣きました。
ラストもスカッとするし、エンドロールで流れる宇多田ヒカルさんの主題歌もよろし!
黄泉の国の描写が素敵で、ポリスストーリーでジャッキーが車で突っ切って行ったような密集住居(伝わりますかね?)で、先に死んだ人々が自分を待ってくれている世界。あんな黄泉の国だったら死んでもいいかな、と思いました。
でも、映画観た後で宇多丸さんのシネマハスラー(じゃなくてムービーウォッチメンか。番組終わっちゃうそうですね)での評を聴くと、黄泉の国のイメージ、「千と千尋の神隠し」あまりにあからさまなパクリで、いかがなものかと。

ただ、自分も「千と千尋」は観ているのですが、内容はほとんど覚えておらず、そうしたパクリ疑惑も鑑賞のノイズにならず、結果オーライでした。

2018年1月25日木曜日

六甲おろしふいた 後編

続きです

<前回までのあらすじ>
学生ニコライの住むおんぼろアパートでは夜な夜な大音量の音楽が鳴り響く!
が、珍しく静かなある夜、学生ニコライの部屋の扉をたたくノックの音が、、、

・・・
ドアを開けると彼女はボソッとつぶやいた
「・・・・は、いませんか?」
「えっ?」聞き返すと
「この部屋に、忌野清志郎の霊は、いませんか?」
なんですって?忌野清志郎?霊?ってか忌野清志郎ってまだ生きてるし!(当時)
困惑した私は「居ませんけど」と答えた。すると彼女は私の部屋を覗き込み、ニヤッと笑って、帰って行った。

どういうこと?霊感ゼロ人間なので別に霊あるいは生き霊が居たって別にかまいはしないのだけど、、、何なんだ???
でも、変わった人だということは分かり、夜の騒音も腑に落ちる感じだった。

そして、何日か経った夜、また自分の部屋をノックする音が!
当時、自分の部屋を夜に訪問してくる人なんて他に居なかったので、ああ、また彼女だな、と思った。
ドアを開けると、、、やはり彼女だった。
彼女はまたボソッとつぶやいた。
「ワタシ・・・・・してください」
え~っ!?

(続く)
(続き)
「えっ?」
「ワタシを、ヒモに、してくれませんか?」
えっ?ヒモ?
えっなに?どういうこと?
訳が分からず、なぜか「すみません」と彼女に謝って、お引き取りいただいてドアを閉めた。
ヒモって、あのヒモだよな。しかも「ヒモにしてください」だから、自分が稼いで彼女を食べさせるってことだよな。これって一般的な夫婦なんじゃないの?えっ?あれって、逆プロポーズだったの?
衝撃を受けつつも、先日の忌野清志郎の件もあったので、彼女は変わった人なんだと、深くは考えないようにして、その日は眠りについた。
そしてしばらく日は過ぎて、いつの間にやら夜の騒音も無くなった。

当時、アパートの家賃(家賃の一部だったかもしれない)は、毎月、大家さんの家まで払いに行っていた。
大家さんはおんぼろアパートの隣の立派な家に住んでいた。50歳くらいの女性で、優しく、いい意味でお金持ちの余裕が感じられる人だった。家賃を払いに行ったときに、余ったから食べてと大量の冷凍餃子を貰ったこともあった。
家賃を払いに行くと、大家さんが、「あ、そうそう」と話し始めた。
号室の人、この前、お母さんがやって来て、そこのロイヤルホストで話をして、実家に帰ることになってね。彼女、お母さんに黙って家を出てここに住んでたみたい。夜中に大きな音を出して迷惑をかけていたみたいね。ごめんなさいね。もう静かになると思うわ。」

僕と彼女のヒモ生活は幻に終わり、ほっとしつつも、なんだかモヤモヤとした感情が残った。

彼女は六甲おろし つむじ風だよ
どんな顔で振り向きゃいい
RESCUE RESCUE
昔つきあってたのに

つきあってないけどね

(完)

2018年1月24日水曜日

忘れ得ぬ人々 六甲おろしふいた

これも、投稿はしていない、忘れ得ぬ人々のお話です。

・・・

「組の事務所」事件からしばらくたった、ある夜のこと。アパートの部屋でウダウダしていると、どこからともなく音楽が流れてきた。
洋楽、ロックだった。
その後、その曲を何度も聴くことになるので、20年以上経った今でもそのメロディを口ずさむ事が出来る。リマールのネバーエンディングストーリーにちょっと似た曲。だが、洋楽にはうといので、未だにその曲名を知らない。

さても結構な大音量である。隣の部屋からではない。アパートのドアを開けると、どうやら自分の部屋の斜め前の部屋で鳴っているらしい。そして、時折、女性の「ヘーイ」だとか「イェーイ」だとかの合いの手も聴こえてくる。明らかに近所迷惑レベルの音量なのだが、生来、争いごとを好まない性格(ヘタレともいう)の自分は、部屋に戻り、イヤホンを付けて自分の好きな音楽を聴くことでやり過ごした。
その日以降もほぼ毎日、夜になると音楽が鳴りはじめた。ある時、別な部屋の住人が「いい加減にしてください!」と、これまた自分が部屋にいても聞こえるくらいの大声で注意をしたことがあって、その日は静かになった。が、翌日、夜になるとまた大音量の音楽が鳴りはじめるのだった。
トイレ共同のアパートだったので、たまに、その部屋の住民を廊下で目撃することもあったのだが、大人しい感じの女性で、なかなか例の夜の大音響とは結びつき難い感じだった。
夜になると流れてくる曲は、殆どがその洋楽ロックだったが、たまに、大江千里の「六甲おろしふいた」が流れた。
大江千里は、自分が初めてレコードを買ったアーティストで、昔からファンである。生来、争いごとを好まない性格の自分は、「大江千里ファンに悪い人はいない。彼女もきっと、根はいい人のはず」と思い、大音量にも腹を立てないように心掛けた。とはいっても、かかる曲はいつも「六甲おろしふいた」で、大江千里ファンというより「六甲おろしふいた」ファンのようだった。その曲のときは、合いの手の「レスキュー!レスキュー!」がアパートに響き渡った。

ある夜のこと。その夜は珍しく静かな夜だった。
「コンコン」
自分の部屋の扉がノックされ、「はーい」とドアを開けると、そこにいたのは「彼女」だった。

(続く)

2018年1月21日日曜日

2018年の抱負

ちょっと日にちが経ちましたが、元旦放送の東京ポッド許可局で、2018年の抱負
飲み会の後のシメのラーメンを月に一度くらいにとどめる
が採用されました!
ちなみに今年はまだ、シメのラーメンを食べておりません!
(ただ、飲みに行っていないから、という話も)

そして先日、TBSさんから褒美のレナウン娘が届きました〜
なんと三体!
早速写真を撮り、ツイートしようと思ったのですが、「こいつ調子に乗ってる!」と思われるのが嫌だったので(実際調子には乗っている!それは否定しない!)、おとなしめの写真を撮りなおし、ツイートしました。なので、このブログでひっそり自慢します!


ちなみに、箱に入ってないレナウン娘は許可友のトットさんに、去年新宿末広亭に一緒に行ったときにお借りしたものです。この娘のおかげで、「レナウン娘ほしい欲」から解放され、ゆるい投稿ができたのが採用につながったのかもしれません。

2018年1月18日木曜日

黒い交際・後半 大塚-池袋血煙街道

<前回までのあらすじ>
反社会的勢力団体に所属する隣人Kさんに飲みに誘われた学生ニコライと友人のS。さて、どうなることやら、、、

(続き)
「安い店に行こう。よく行く店があるんだよ」そう言うKさんについて都電に乗って辿り着いたのは、大塚駅前のおでん屋台だった。ここで、四国愛媛出身の私は、「関東のおでん」の洗礼をうけた。
Kさんが店のおじさんに「スジおくれ」と言っているのを聞いて、「僕も!」と頼んでお皿に乗って出てきたのは、串に刺さった牛スジ肉ではなく、灰色の練り物だった。関東でスジと言えばこれだというのをこの時知った。
そしてちくわぶ!(ちくわぶを初めて食べたのはこのおでん屋台では無かった気もするが)なんだあのふにゃムチした食感は!初めて食べた時から20年以上経つけれど未だに馴染めないぞ!「ちくわぶ無いとおでん始まらない」と言ってた知り合いの関東人もいたけれども。

さて、不思議な3人の飲み会はそこそこ盛り上がり、おでんと日本酒で酔っ払い調子に乗ったKさんがとんでもないことを言い出した。
「よし、これから組の事務所に行くぞ!」
一気に酔いが覚めた。

(続く)

(続き)
勘定を済ませると、Kさんはタクシーを捕まえた。我々はタクシーに乗り込み、事務所があるという池袋へと向かった。
「組って、やっぱ、あの怖い人達が集まってる""だよな」「もし断りきれず、まかり間違って組員になるようなことがあれば、親にどう説明しようか」なんてことを車中で考えているうちに、池袋が近づいてきた。
いつの間にかKさんはウトウトし始めており、タクシーの運転手さんの「お客さん、どこで降りますか?」の声で目を覚ました。Kさんは「ああ、そこらへんで」と言い、我々は池袋東口のビル街でタクシーを降りた。

タクシーを降りたら、Kさんの様子がなんだか怪しい。「あれっ!?事務所どこだったっけ?」酔っているせいか、事務所の場所が分からないらしい。我々はなかなか事務所にたどり着けず、ついにはKさんがどこぞのビルの閉まっているシャッターを開けようとし始めた。
やるなら今しかねぇ、とばかりに「こんなに酔っ払って行ったら事務所の人も迷惑ですよ」「また今度にしましょう(絶対やだけど)」などと適当なことを言いながら、友人Sと私は両サイドからKさんを挟んで、タクシーを捕まえ、Kさんと一緒にタクシーの車内になだれ込み、西巣鴨のアパートへ帰還することに成功した。

あとから考えれば、あのKさんのあまりの挙動不審ぶり、、、Kさんは本当に下っ端のチンピラだったのかもしれない。調子よく「事務所へ行くぞ」と言ってはみたものの、酔っ払って事務所へ行くのが直前になって怖くなったのかもしれない。あるいは、あの名刺さえもひょっとしたら偽物だったのではないかと疑わしくなってくる。コスプレ警官ならぬコスプレヤクザ?まあ、そんなのは無いか。

それと、この異常な飲み会にたまたま友人Sがいて、自分1人ではなかったのが本当に運が良かったと思う。幼少の頃からコンクリを殴って拳を鍛えていたという伝説を持つ武闘派のS(でも心優しき男)の存在が本当に心強かった。後でこのKさんとの一件を振り返ったときにSはこう言った。「全然心配してなかったよ。あんなオッチャン、俺とお前と2人いればなんとでもなるやろ。」いや、あなた1人で十分です。

さて、その飲み会の後、しばらくしてKさんはアパートを出て行った。
学生ニコライに、平穏無事な日常が戻ったかに見えた。
そう、アパートにあの「彼女」が引っ越して来るまでは!
(完。「彼女」の話はまたいつか。)

2018年1月13日土曜日

忘れ得ぬ人々 ニコライの黒い交際

これは、投稿はしていない"忘れ得ぬ人々"のお話です。

・・・
大学345年生の3年間、西巣鴨のアパートに住んでいた。大学2年生までは寮に住んでいたので、大学3年生から"真の"一人暮らしを始めたことになる。
池袋の不動産屋で「とにかく安いところをお願いします」と言って、案内してもらったのがトイレ共同風呂無しの木造二階建てアパートだった。そのアパートには四畳半と六畳の部屋があり、どちらにも入居可能だったのでどっちにするか聞かれた。「とにかく安いところ」と言っていた割には見栄を張り、二階の六畳の部屋にした。それでも家賃は月二万八千円と安かった。
しかしながら、つまりはそのアパートには自分みたいな「とにかく安いところ」を志向しあまり環境を問わない、ちょっとクセのある住民が集まっていたような気がする。
あまり大学にも通ってなかった自分が日中ゴロゴロしていると、階下の部屋からは、謎の念仏(密教のマントラみたいなやつ。聞いたことはないけど)が聞こえてきたり、カップルが時代劇の再放送を見てあーでもないこーでもないとツッコミを入れる声が聞こえてきたり、あと明治通りがまあまあ近くだったので車の通行音など、結構騒々しいアパートだった。

そのアパートの自分の向かいの部屋に、"忘れ得ぬ人々"であるヤクザのKさんも住んでいたのであった。(続く)


続けます。
Kさんは、小太りイガグリ頭で年は30代くらいだったろうか。アパートがトイレ共同だったので、たまに廊下で会って顔だけは知っている感じだった。
その日は友人のSが自分の部屋に遊びに来ており、いつも通り馬鹿話で盛り上がっていた。するとドアがノックされ、開けるとKさんがいた。「やべ、うるさかったかな」と思っているとKさんが「楽しそうだな。これから一緒に飲みに行かねぇか?」と思いもしなかったことを言ってきた。Sとはもともと酒を飲む予定だったので、Sに確認すると別に構わないよとのこと。急遽Kさんと3人で飲みに行くことになった。
とりあえずSと、Kさんの部屋に入った。テレビしかない殺風景な部屋だった。そこでKさんから「俺はこういうもんなんだけど」と名刺をもらった。名刺には「〇〇会 K」とそこそこ有名な反社会的勢力の団体の名前が書いてあり、オイオイと思いつつも、今さら「やっぱり飲みには行けません」と言うことはできなかった。

(続く)