2018年5月26日土曜日

味噌とか塩とか父親とか


小学生だったころ、不器用(生き方が、ではなく、リアルに)だった父が、休日のお昼ご飯として袋めんのラーメンをつくってくれることになった。

親が共働きで、母が日曜も仕事のときには、たまにそういうことがあった。

実家の常備ラーメンは明星チャルメラだったのだけれど、その日のラーメンはなぜかサッポロ一番塩ラーメンだった。

生まれて初めて食べたサッポロ一番塩ラーメンは、とってもとっても薄味だった。今考えると、不器用な父がこしらえたラーメンであり、おそらく、お湯の量が多すぎたのだろう。だけれども当時の自分は、「サッポロ一番塩ラーメンってこういう味なんだ」と思い、以降、サッポロ一番や、塩ラーメンというジャンル自体を敬遠するきっかけとなってしまったのだけれど、それはまた別の話。

父に「味が薄い」と不満を言うと、「味噌を入れたら味がつくんじゃないか」と言って味噌を入れてくれた。すると、不思議に美味しくなった。これが、日本での味噌ラーメンの発祥である、、、嘘です。これが、自分と味噌ラーメンとの出会いだった。その後、味噌ラーメンにバターを乗せた味噌バターラーメンにはまった時期もあった

さて、「不器用な父」の父であるじいちゃんも、印象深いラーメンを作ってくれたことがあった。このラーメンは逆に、お湯の量が少なくて煮詰まってしまい、異様に味が濃いラーメンだった。これが、九州屋台 焼きラーメンの発祥である、、、嘘です。私と弟はこの「汁なしラーメン」の味の濃さが気に入って、「じいちゃん、また汁なしラーメン作って!」とその後も度々リクエストしたけれど、じいちゃんはそんなラーメンを作ったことも覚えてないようで、二度と食べることのない幻のラーメンとなった。

思えば汁なしラーメンは、袋めんの焼きそばに似ていた。袋めんの焼きそばって最近食べてないけれど、独特のおいしさがあって、あのふりかけ小袋の乾燥紅しょうがもいいアクセント。とりとめがなくなってきたので終わります。

<書き足し>

これはもはや父とは関係ない話なのだけれど、明星チャルメラが常備ラーメンだった我が実家では、その後2回の「袋ラーメン革命」があり、1回目が「ハウス本中華醬」(大橋巨泉のCM"なんちゅうかほんちゅうか")、2回目が「ハウスうまかちゃんぽん」(前川清のCM"ちゃんぽんぽん")であったことをここに記す。

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